2005.03.07    オープンであること   荒井 久
 
 
今、私たちは「オープンであることがいかに大事か」を学んでいるように思う。西武の場合、「株式公開」というオープンの市場を使いながら、実は40年もの間、オープンではなかった。そのことが強く問われている。

話題のライブドア対フジテレビにしても「オープン性」が問われている。ライブドアについては、ニッポン放送の大量の株買い付けがオープンであったかどうか。そして、ニッポン放送、フジテレビによる新株発行予約権がオープンかどうか。

これまでの私たちのカルチャーで言えば、「オープンでは勝ち残れない」ということだったと思う。いいものを開発あるいは見つけたら、とにかく隠して、権利関係だけを確保するという手法があたりまえだった。今でもそれは事実である場合が多い。

だが、世界的に見て、そうした思想、カルチャーが大きく地殻変動を起こしているのではないかと思う。ある秀才が創った「いいもの」を普及させていくというシナリオが崩れかけてきているという気がするのだ。

北欧の大学生だったリーナス・トーバルスが初期のLinuxを創ったとき、周りの人たちにオープンにした。「使いたい人はどうぞ」というわけだ。次に起こったのが「こうすればもっとよくなる」という仲間が急速に増えていったことだ。結果、Linux開発の輪が広がり、IT業界では大変に評価されるものに育っていった。いまや、IT利用で目利きが多い「できる企業」が本格的に使い始めたという。

私たちは、会社の概念を超えた「Linux開発のコミュニティ」に目を向けるべきではないだろうか。彼らはこの仕事を自ら好きで、楽しんで進めているように見える。「させられている」のではなく、「自ら能動的にしている」。しかも共同で切磋琢磨している。

そして、その成果。創り手と受け手(ユーザー)の一体感も感じられる。「カウンターカルチャーの」と呼ばれる彼らが、新時代を切り拓いてくれるのではないだろうか。



 
   
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