2006.07.23    「心臓停止」   荒井 久
 
 
「心臓停止」
ただ、この4文字だけのメールが届いた。

最もお世話になった従姉妹の幸子さんの心臓が止まったのだった。

田舎の甥っ子から、このケータイメールが届いたのは7月1日、午後2時過ぎ。
土曜日だった。今朝早く向かっていれば間に合ったのに。
すぐに田舎の佐久に向かったのだが、無念さだけが残った。

もう、2日ほど前から、ほとんど本人の意識はないからと医者に言われたという。
それに、幸子さんだって、最後の姿は見られたくなかったに違いない。
周囲にそう言われて、自分を納得させた。

3日の月曜日の朝にはいったん東京に戻って仕事。そして4日夜には再び佐久へ。
5日が近親者のみの密葬。故人の強い意志だった。
僕は姉と共に、幸子さんの自宅の庭から、山ほどのお花を採取して一緒に飾った。

そしてこの15日。納骨で再び佐久へ。
40年以上も務めた佐久総合病院から少し離れた小高い丘に用意された墓地。
そこからは広く佐久平と千曲川が見渡せる。
母親のトメさんと共に、そこで遠い眠りについた。

今年3月19日、お彼岸で帰郷した時に会った幸子さん。
「美味しい珈琲」を飲みに行こうと誘ってくれたのだった(3月19日付け日記)。
どうやら、それが実質的に最後の外出だったようだ。

実は、亡くなった7月1日から17日間。
僕は、この制作日記を休んでしまった。

7月1日に「心臓停止」の日記を書こうとも思ったが、
文章に残すのは、その時、あまりにも辛かった。

自分の心も整理できないまま、
忙しい仕事も舞い込み、
あっという間に17日間も過ぎ去った。

密葬と納骨の時に、幸子さんの親友だったアーティストの「メメさん」にお会いした。
亡くなる3日前に、幸子さんはお見舞いに行ったメメさんの腕を掴み、
「帰っちゃいや、私を連れてって!」と激しく腕を引っ張ったという。
どこにそんな力が残っていたのか。腕に残された大きな黒いアザを見せてくれた。

そのメメさんが貸してくれたビデオを見た。
「NHKプロジェクトX 医師達は走った。日本で始めての集団検診」だ。
小さな病院から長野県一の大病院になるまで約40年も総婦長を務めた幸子さん。
NHKのインタビューに「心残りはありません」と、
きっぱり答えていたのが、せめてもの救いだ。

 
   
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