2005.03.29    平等に元気をくれる自然力   荒井 久
 
 
昨日の夕方、独身だけどいい年になった娘から「元気?」というケータイメールが入った。このところ、お互いにメールでの呼びかけはそんなものだ。結局は二人で夕食をということになった。

たまたまこの日の午後、昔の仲間と「このところ周りのみんな、元気がないね。みんなが元気であるのと、元気ないのとでは、全体のパワーはがぜん違ってくるよね」という話をしたばっかりだったこともあり、「元気」がテーマになった。娘はそこそこ元気そうではあった。

数年前のことになるが、石川県小松市の町興しを少しお手伝いしたことがある。そのときのある講師の方がいいことをおっしゃった。

「皆さんは、小松はいつも金沢に何もかも負けていてだめだだめだという。自分たちのことをいつも卑下していて元気がない。それでどれほど小松が損をしているだろうか。小松市民全部が小松はだめだ、と思えば、小松全体の元気がなくなり、事業力も労働力も消費も確実に10%は落ちてしまうのです。これが逆に、小松はいい、小松は素晴らしい、小松は元気だ、という考えになれば、今度は今よりなにもかも20%はアップできるんです」。

なるほど。確かに。その時には大変感激した。このことはどこでもいつでも通用するセオリーではないかと思う。

このところ、いやな勝ち組、負け組み議論が流行っていて、勝ち組は元気、負け組みは元気なし、と相場は決まっている。人も会社も社会も、前を向いているときは、上を向いているときは、夢見ているときは、創造しているときは、みんな元気だ。

元気でない人は下を向き、後ろを向き、夢もない。そんな人にどう声をかけたらいいのだろうか。

「頑張る」より先に「面白く」。「面白い」が発見できなければ「刺激」を求めてみよう。「刺激」が見つからなければ「見詰めて」見よう、といったことは通用しそうにもない。もっと深刻なのである。

しかし、もしかして唯一、僕の発見は自然だ。寒い冬を耐え忍んできた桜の花がもうまもなく咲き出し、多くの木々が芽を吹き出そうと待ち構えている。

春は、元気な人にも元気でない人にも、平等に一様に降り注いでくれる。まるで私たちの気分をリセットしてくれるかのようだ。その自然力に大感謝だ。

春の雨上がりの今朝。ここ東京・平河町のビルの窓の外でも、早くも小鳥たちが嬉々として飛び跳ねている。


 
   
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