2009.04.02    「写す力1定義みたいなもの」   荒井 久
 
 
ずっとずっと長い間、考えてきたことがある。

未だに上手く表現できていない気もするが。
結局は「写す力」という言葉にしようと思う。

「うつす力」が僕らにとっても重要なのではないかと思っている。

たとえば、「さんま」という有名タレントがいる。
あの人はなぜ、あんなにウケルのか。
なぜ、あんなにもテレビにもてるのか。
稼げるのか。

馬鹿ではないけれど、特段に頭がいいからということでもないだろう。
運動神経も悪いわけでもないだろうが、特段に良い訳でもないだろう。

つまり。
とてつもなく賢いわけでもなく。
とてつもなく運動ができるわけでもなく。
とてつもなく優しいわけでもなく。
とてつもなくハンサムでもない。

いわば。
極く、平均的な人間ではなかろうか。

なのに、なぜ、とてつもなくウケルのか。

それは、「うつす力」の天才ではないか、と僕は分析する。

自分の気持ち、自分の全てを即座にうつす力がとてつもなくある。
どこにうつすかと言えば、例えばテレビや、相手の人へ。
自分そのものを瞬時に、自分以外のところにうつす。

それを受信した人は、とてつもない共感が生まれる。
あるいはとてつもない理解が生まれて、それが共感に走る。

もちろん、人は誰も高度なものに憧れるが。
それよりも、共感の方がマーケットは大きい。

だから、賢くなくても、賢くない様がそのままずばりと相手にうつせれば。
それは大きな共感を生み、ウケルのではないか。

だから、うつす力がとっても大事なのだ。

そう考えると。
「うつす」は写すことでもあり、移すことでもあり。
映すことでもある。

もっと広く捉えれば、表現することだ。
発することであり、歌うことであり、踊ることである。
話すことであり、書くことであり、描くことである。

逆方向からみれば、受け入れることでもある。
聞くことであり、見ることであり、触れることである。
読むことであり、感じることである。

それが、僕の言いたい「うつす」ことだ。
それらの全てにうつす動作が含まれている。

その「うつす力」が、最も大事ではないか。
この頃、そう思っている。

これから時々、僕の考える「うつす力」について書いていきたいと思う。

 
   
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