2009.04.05    「写す力4 自分を目の前に写す坐禅」   荒井 久
 
 
したくなかったのに、どうしても誘われて。
だがしかし、僕の人生でこれほど感謝していることはない。
それが2つある。

囲碁と坐禅だ。
囲碁は会社に入って2年目くらいの頃だった。
先輩に面白いからとやや強引に誘われた。
今は感謝に耐えない。
僕の人生を豊かにしてくれた。

坐禅は入社15年目くらいの頃だろうか。
いつも会う飲み屋で、飲み友の歯医者さんに1年掛かりで口説かれた。
「坐った後のビールがこの上なく美味いんだ」と。

坐りだしてからは熱心に通い、なんと1年で得度を受けた。
これも感謝感激だ。

坐禅は形から入る。
よく見られる坐る姿だ。
目は半眼で、視線は1メートル先に落とす。

自然を会得する坐禅は、自分をいかに自然の中にゆだねるかが鍵。
いかに自然と調和し、自然の一部に同化するかだ。

ただひたすら坐ることに没頭すること。
それが自分の「自然体」につながる。

そのためには。
何かと浮かんでくる雑念、いやこれも自然なのだから、素直に受け止めなくてはならない。

涌いてくる様々な想いを前頭部から吐き出し、自分の前面から流して、前に組んだ両手で受け止めて自然界に流す。
どこかで想い留めてはならない。
追ってはならない。

それをスムースに進めるために、自分の前に自分を写し。
写された自分が本体の自分を理解してあげる。
雑念が涌いた自分を認める。
すると自分は納得して、想いは静かに流れ去る。

どんなに醜いことを考えても、どんなに悔しいことが想い浮かんでも。
その全てを認めること。
全ての自分を理解してあげること。

このことを繰り返し続けていると。
やがて、雑念が涌かなくなるから不思議だ。
呼吸の回数が減り、脈拍も遅くなる。

そのときに、自分の前に写した自分が活躍している。

やや強引だが、坐禅とは自分の前に自分を写すことではなかろうか。

そういえば、囲碁も自分を碁盤に写すことかも知れない。
それは、近いうちに。

 
   
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